著名人の方からのコメント

炎とは、身近な生活の一部であり、私の原点です。 安心、安全、機能的な最新ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。お店の味が自宅で簡単に再現できると、毎回ご好評をいただいております。今回キッチンランド石神井で開催された料理教室の講師は、銀座の一等地に店を構える、「みちば和食 たて野」店主、舘野雄二朗さん。土鍋の特性を生かした「芋粥」や、和食の基本、出汁の取り方のコツなどを教えてくださいました。その気さくで熱意あふれる舘野さんにインタビューしました。



舘野雄二朗さん 舘野雄二朗さん 『みちば和食 たて野』店主

1984年、道場六三郎氏の門下に入り料理界に。1997年に「ポワソン六三郎」オープン。料理長となる。2008年、「みちば和食 たて野」オープン。現在に至る。
道場六三郎氏より受け継いだ柔軟な発想で創る「たて野」ならではの料理(道場和食)のコツを広く伝えたく、料理講習や福祉施設での料理など活動の場を広げている。



基本が身についていなくて、とても苦労しました。基本は本当に大切です。

Q.1:

食の世界を目指したきっかけは?

舘野:

実は、もともとは料理人を目指していたわけではなかったのです。高校生の頃は自動車の整備士になりたくて。でも当時はちょうど不景気で、自動車業界も例外ではありませんでした。その頃、私は弁当を持って通学していたのですが、母が1人で兄弟4人と父の弁当を作ってくれていたのです。忙しい中5人分も作っていたので、少しは役に立つのではと、おかず作りや盛り付けを手伝ったりしていました。もともと整備士を目指していたくらいなので、手先が器用だったんでしょうね。弁当作りもなかなかのもので、楽しかったです。それを見た母から、食いっぱぐれることもないだろうし、食の世界を目指してみたら?と言われたのが、この世界に入ったきっかけでした。

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Q.2:

数ある料理の中で、和食を選ばれたのはなぜですか?

舘野:

食の世界を目指そうと決めた頃、ちょうど友人も調理師学校を受験するということで、一緒に説明会に参加しました。その後受験し、調理師学校に通うようになったのです。手先の器用さからか、実習は大好きで成績も良かったのですが、授業中よく居眠りをしていましたね(笑)。実は、中学の頃からずっと新聞配達を続け、当時も夜はバイトをしながら調理師学校に通学していたんです。働きながら学校に通う自分の姿を見て、厳しい和食の世界での修業にも耐えられるのではと、学校の校長が和食の世界を勧めてくれました。そして、仕事先を紹介してくれたのもその校長だったんです。よく銀座に食事に行っていたらしく、行きつけの店がたまたま1人従業員を募集しているということで、推薦してもらいました。それが、道場六三郎氏の店だったんですよ。学校に実習の講師として来てもらっていたのですが、そのオーラはすごかったです。

Q.3:

それが道場氏、ひいては和食との出会いだったわけですね。和食の世界での修業は厳しかったですか?

舘野:

入った当時は、大変でしたね。料理人と料理人の間で考え方の違いがあり、負けん気の強い私は、悔しさを屋上で吐き出していました。そんな中、北海道出身の先輩が支えになって、いつも助けてくれていました。その先輩のことは今でもとても信頼しています。だんだん慣れてくるに伴って調理も上達し、先輩料理人の出入りもあって、3年もたったころにはすっかり自分が先輩になっていました。そうとう上達したと勘違いしたのでしょうね。4年目には辞めたいと伝え、外の世界に飛び出してしまったのです。

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Q.4:

そこで、苦労したことや今までとの違い、印象に残ったことは?

舘野:

そうですね、全てが違っていました。調理の工程や作業の仕方などいろいろなことが違い、ギャップに悩みました。たくさん怒鳴られましたよ。そこでは創造性より基本が重要で、短期間で先輩になってしまった自分には、その基本が身についていなかったのです。苦労しました。もう少し下で地道に頑張っておけばよかったと、とても悔しい思いをしました。そんな時に支えてくれたのが、以前の先輩と東京タワーでしたね(笑)。先輩の言葉で頑張ろうと思い直し、東京タワーの光に心癒されました。それからは、意識しなくても身体で覚えて動けるよう、4,5年は基本に重点を置いてやらなければと頑張りました。最初の下積みの作業は、基本を学ぶ上で、本当に大事です。


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