著名人の方からのコメント

炎とは、レストランという舞台を作り上げる、大切な素材のひとつです。 安心・便利、しかもお洒落な最新式ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。お店の味が自宅で簡単に再現できると、毎回ご好評をいただいております。キッチンランド浦和において開催された今回の講師は、温かい笑顔がとても親しみやすい深田景さん。野菜たっぷりのヘルシーイタリアン4品の作り方を教えてくださいました。ボリューム満点で美味しいのにヘルシーと、大好評でした。講座修了後、深田さんにインタービューしました。



深田景さん 深田景さん 「Ristorante FRICK」オーナーシェフ

1978年6月5日生、東京都出身。渋谷「ビゴロッソ」、代官山「カノビアーノ」を経て渡伊。トスカーナ州ミシュラン2ツ星「テンダロッサ」他、数軒を経て帰国。表参道「ラユンヌ」料理長、各種イベントメニューのプロデュースも手掛ける。丸ノ内「イル ギオットーネ」を経て独立。2008年5月、南青山「リストランテ フリック」オープン。



先輩に憧れ、フランス料理からイタリア料理の道へ進みました。

Q.1:

講座ではシェフの笑顔が大人気でしたね!若くしてイタリア料理店のオーナーシェフになられたいきさつを、ぜひ聞かせてください。

深田:

もともと母がパン教室を開いていた影響で、料理人になろうと思っていました。シェフと言えばフランス料理のイメージがあったのですが、自分のイメージと何かが違うなと感じるようになって。その当時通っていた専門学校の授業はフランス料理が基本で、イタリア料理を勉強する機会は特別授業の時のみだったんです。その特別授業で来てくださったイタリアンのシェフが、若干35歳にして第一線でバリバリ活躍なさっている素晴らしい方でした。当時は若いシェフが活躍すること自体が少なく、僕の憧れでした。そのシェフを見て、イタリアンのシェフになろうと決心したんです。実は彼、後の僕の師匠でもあるんですよ。彼のお店で、学校に通いながら1年くらいバイトして、毎日終電になるまで頑張りました。卒業する頃には、下積みの半分ちかく終わっている状態でしたね(笑)。そのままそこへ就職し数年間働いた後、シェフの独立を機にイタリアへ留学することを決意したんです。

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Q.2:

イタリアでの勉強はいかがでしたか?

深田:

最初はとても苦労しました。語学留学のビザでイタリアに渡ったので、レストランで働くあてなどなかったんです。日本でも1年くらいイタリア語を勉強しましたが、最初のうちは会話もままならず、たくさん持っていった本が唯一の癒しでしたね。ルームシェアし、そこの共通語としてイタリア語を学びながら、たくさんのお店を食べ歩きました。その中で気に入ったお店に何度も応募しましたが、語学ができないことが理由ですべて断られたんです。3か月はそんな状態でしたね。その3か月目、日本人スタッフが帰国するという店に、入れ違いで入ることができたんです!そこではポジション争いが激しく、揉まれることで切磋琢磨しました。そんな中、嬉しいことに花形であるパスタのポジションを任されたんですよ!日本人は珍しがられるのもあり、それ以降は就職先には困りませんでしたね。

Q.3:

その後、日本でオーナーシェフになられたのですね。

深田:

日本で自分の店を持つのが目標だったので、イタリア中部から北部にかけて一通りレストランを経験した後、帰国しました。表参道でシェフを経験後、丸の内「イル・ギオットーネ」のオープニングから手伝わせてもらえることになりました。そこで経営も一緒に学ばせてもらったことで、独立が視野に入ってきたんです。料理以外にも、チームワークや接客などをしっかり学び、尊敬できる先輩シェフにも巡り合えました。そこでのラスト1年、今度は独立のための物件探しで苦労しましたね。まだ28歳という年齢だったので、不動産会社からなかなか相手にしてもらえなくて。「一生の自分の店」という想いがあり、店舗選びにはこだわりました。ある時、とても気に入った物件がありましたが、そこも最初は断られました。そこで大家さんをイル・ギオットーネに招待し、なんとか話を聞いてもらったんです。そうして競合7社の中から勝ち取ったのが、今の店というわけです。

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