著名人の方からのコメント

炎とは、料理には欠かせないものです。 安心・安全・便利な最新式ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる東京ガスの料理教室。プロの味が自宅で再現できると、毎回ご好評をいただいております。今回の講師は、フランス料理界を牽引し料理長としてその調理場を預かる若き実力派・長谷川シェフ。講座修了後、長谷川さんにインタービューしました。



長谷川 幸太郎さん 長谷川 幸太郎さん 「サンス・エ・サヴール」料理長

1973年東京都浅草出身。16歳にして料理の道に入る。幼少の頃から家の料理の手伝いをするうちに料理に対して興味を覚え、中学卒業後、武蔵野調理師専門学校に入学。16歳で「シェラトン・グランデ・トーキョーベイ」にてパティシエを4年間勤めた後、同ホテル内メインダイニングである「ザ・サミット」にてフランス料理を学ぶ傍ら、休日を利用し、都内有名店の厨房に立ちプロ意識を身に着けた。26歳で渡仏し、約3年半の間、数々の星付きレストランで修行を重ねる。南仏モンペリエの「ル・ジャルダン・デ・サンス」で天才料理人と謳われる双子のオーナーシェフ、ジャック&ローラン・プルセル氏に感銘を受け師事。両氏の強い推薦により、「ル・ジャルダン・デ・サンス」東京店、「サンス・エ・サヴール」の副料理長に抜擢。オープニング時よりその力を存分に発揮し、翌年料理長に就任。伝統的な技法に裏づけされた斬新な素材の組み合わせ、それらが醸し出す軽やかさが長谷川料理の特徴である。現代若手フランス料理人の筆頭として活躍中。



人材は「人財」。この人に出会って良かったと思ってもらいたいです。

Q.1:

料理人になろうと思ったきっかけを教えてください。

長谷川:

きっかけ、というより、料理人になることは僕にとって必然だったんだと思います。僕が4歳のころ母が病気になり、それ以来、洋品店を営む父と兄と3人で暮らしていました。接客中の父に代わり、家事をするのが当たり前になっていたんです。お腹がすいたら自分で作るのが当たり前。幼くして既に自立していたんですね。父が不在の時は食事代に千円おいてってくれたのですが、自分で作れば、その千円はお小遣いになるわけです(笑)。モノを作るのが好きだったのもあって、自分でいろいろ考えて料理するのは、全然苦ではありませんでしたね。

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Q.2:

子供の頃からお菓子も作っていたそうですね。まずデザートを学ばれたのはその影響でしょうか?

長谷川:

当時、勉強が嫌いで進路に迷っていた僕に、「学校へは友達を作りに行け」と勧めてくれたのが父でした。確かに仲間の存在って大きいですよね。そうして一年間調理師学校に通った後、その父の知り合いであるホテルの総料理長のもとで修業することになりました。その総料理長の、「パティスリー(デザート)ができないことが、後々ネックになった」という助言によって、パティスリーの道へと進んだのです。特に当時の先輩がプロ意識の高い方だったので、ここでしっかりとプロの料理人としての姿勢を学びましたね。厳しかったです。4年で一通りできるようになったころには、僕は20歳になっていました。

Q.3:

それからレストランに移られたのですね。

長谷川:

はい。レストランでは、パティスリーの仕事との違いに驚きました。きっちり計量するパティスリーと違い、レストランでは感性や感覚を大切にしましたから。僕は負けず嫌いなので、人の倍以上努力しなければと頑張りましたね(笑)。普段はホテルのレストランで働きながら、自分の休日には「銀座 レカン」や「KM カーエム」で働かせてもらいました。そこでは、初めて聞くフランス語が飛び交ったり、1枚8万円もする皿を洗ったりと、ホテルではできない経験をしました。トップレベルの街場のレストランは、ホテルと違う刺激があって、休みがないにもかかわらずとても充実した日々でしたね。

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