著名人の方からのコメント

炎とは、あたたかみを感じるものです。 安心・安全・便利な最新式ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる東京ガスのイベント。今回は、東京ガスが協賛する食育活動「味覚のアトリエ」で講師を務めてくださった、日高シェフにインタビューしました。誠実なお人柄がにじみ出るような、まっすぐな眼差しが印象的な日高シェフ。そのご活躍や、ご自宅でお使いのピピッとコンロの使い勝手など、興味深いお話を伺いました。



日高 良実さん 日高 良実さん 広尾『アクアパッツァ』オーナーシェフ

1957年10月4日神戸生まれ。調理師学校を卒業後フランス料理の道へ進み、神戸ポートピアホテル「アラン シャペル」へ入店。その後、銀座「リストランテ ハナダ」でイタリアンの魅力を感じ、本場イタリアへ渡る。「エノテカ・ピンキオーリ」「グアルティエーロ・マルケージ」「ダル・ペスカトーレ」など、イタリアの北から南まで計14店で修行。帰国後、リストランテ山アの料理長に就任。1990年「アクアパッツァ」(東京・西麻布)のオープンとともに料理長に就く。その後広尾に移転し、1階にも「アクアヴィーノ」をオープン。2003年「アクアパッツァ」オーナーシェフに就任後、「横須賀アクアマーレ」「ジェラテリア アクアパッツァ」と相次いでオープン。現在は東京を拠点に、日本の食材を活かした独自のイタリアンを提案し続けている。



日本の食材でイタリア料理を作りたいと、そのエッセンスを勉強してきました。

Q.1:

料理人になろうと思ったきっかけを教えてください。

日高:

飲食業界に興味を持ったのは、高校時代に通い詰めた喫茶店がきっかけでした。当時私は、両親の期待どおり大学に進学しようと浪人中でした。でも、どうしても学業に興味が持てなかったんです。そんな時、ご夫婦が仲良く営むその喫茶店のことを思い出し、「ああ、こういう生活もあるんだな…」と、ふと思ったんですね。それから両親を説得し、調理師学校へ進学しました。

Q.2:

なぜ、イタリア料理の道へ進まれたのですか。

日高:

photo調理師学校の入学式で副学長が、これから店を持つならイタリアンか中華だっておっしゃったんです。ああそうかと、素直にイタリア料理と経営を専攻しました。でも、経営に関しての授業は、まったく覚えてないんですね(笑)。イタリア料理も、実は、自分で作ったものが美味しいと感じられなかったんです。最初に習ったパルメザンチーズのリゾットは、当時、ご飯にチーズを合わせるのが信じられなかった(笑)。ウズラの詰め物も、毛をむしってさばくところからやるので、かわいそうでね。フランス料理の方が美味しくできたし、イタリア料理は自分には向いてないんじゃないかって思いましたよ。当時私が住んでいた神戸にはイタリア料理店が4店しかなかったのもあり、フレンチの店に就職することにしました。

Q.3:

それがなぜ、またイタリア料理に戻られたのでしょうか。

日高:

その頃、神戸ポートピアホテルができ、その中にフランスで三つ星の料理店「アラン・シャペル」が入ったんです。調理師学校を通じて、卒業生でもありアラン・シャペルのシェフでもあった上柿元氏に話をしてもらい、高倍率を制して就職が決まりました。その時、就職まで時間があったので、もう一度イタリア料理を見ておこうと思ったんです。神戸に4店あるうちの1店でアルバイトして、初めて毎日食べても飽きないイタリア料理、カルボナーラに出会いましたね。アラン・シャペルでは、見るもの見るもの新しくて、とても楽しかったですよ。でも、素晴らしい先輩たちの中で、ついていけなくなってしまったんです。ちょうど時を同じくして、失恋しましてね。人生で一番つらい時期でした。神戸って狭い街ですから、デートをした場所とか、どこにいっても思い出してしまうんですよ(笑)。たまらなくなり、上柿元シェフに相談して東京のイタリア料理店を紹介してもらいました。

Q.4:

本場イタリアでも料理を学ばれたそうですね。

日高:

photoはい。東京で働くうちに、本場のイタリア料理を学びたくなったんです。1年間新店で勤め上げるのを条件に、イタリアのレストランを紹介してもらいました。行ったからには、三ツ星クラスの店で働きたいと何店かまわりましたが、フレンチ寄りのキレイな料理に矛盾を感じてきたんです。いろいろ相談したところ、地方料理を勉強してみたらと勧められ、1年半、イタリア中を旅するようにまわって学びました。地方料理って、その土地で採れるものを文化に合わせて調理する必要があるんです。そのまま日本に持って帰ってもダメ。日本に帰ったら日本の食材でイタリア料理を作るべきだと、そのエッセンスを勉強してきました。店を手伝ったり、家に招待されてマンマの味を味わったり、地元レストランをまわったり。その中で、アクアパッツァという料理に出会ったんです。その素材を生かしたシンプルな料理に、こういうところがフランス料理と違うんだ、これを吸収して帰ろうと思ったんですね。方向性も定まって、料理の幅を広げることができました。


次のページへ