著名人の方からのコメント

炎は、料理のあたたかさを伝えるものです。 安心、安全、しかもお洒落な最新式ガス調理器具「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。今回は、キッチンランドやショールームの料理教室で講師を務めてくださっている、下村邦和さんにインタビューしました。マンガの原作にもなったという料理人になるまでの生い立ちや、今後の夢などについて伺いました。



下村邦和さん 下村邦和さん 「元町 SHIMOMURA」他、オーナー兼総料理長

横浜・関内を中心に展開する和食創作料理店 関内本店「月」、横浜店「月」、「蘇」の総料理長を務める。日経レストラン主催 全国メニューグランプリにて「黒豚の黒煮」優勝、「雪のしずく」準優勝。他、優秀賞・金賞・レシピ大賞など多数受賞。テレビ・雑誌も、「はなまるマーケット」「王様のブランチ」「旅サラダ」「ザ・ワイド」「近代食堂」「日経レストラン」など多数出演。



料理を作る喜びは、どうしても忘れることができなかったんです。

Q.1:

子供の頃から料理人になろうと思っていらしたのでしょうか。

下村:

私が幼稚園のころ、初めて母親に教えてもらったのがチャーハンでした。すごく美味しいと褒めてもらい、作るのが楽しくて。毎週日曜日の朝には私がチャーハンを作って、家族みんなで食べるのが決まりになっていました。料理の中でもスイーツが得意で、意見を言ってもらっては自分でレシピを作っていたほどです。でも、中学に入った頃からやんちゃになってしまいまして…(笑)。非行に走り、悪さばかりしていました。ケンカに明け暮れる日が続き、母親にも心配ばかりかけていましたね。そんな中でも、クッキーを焼いて仲間に食べさせたりしていたんですよ。しかも、パンチパーマでね(笑)

Q.2:

それがなぜ、今のような料理人としての輝かしい経歴を積まれるまでになられたのでしょうか。

下村:

料理を作る喜びはどうしても忘れられなかったんです。でも当時はまだ進路も決まってなくて、調理師学校への進学は何気なく決めただけでした。その学校もやんちゃで有名なところだったのですが、それも承知でその学校に進学し、入学早々ケンカになりそうな危うい雰囲気になったりもしました。しかし、しばらくするとみんなお互いを認め合うようになり、友情関係もしだいに深まっていったんです。そんな中でまた料理を学び、無事卒業することができました。

Q.3:

それからいろんなお店で修業を積まれたのですね。

下村:

そうですね。さんざん迷惑をかけてきた母親には、これ以上心配をかけるわけにはいかなかった。しかも母が、自分のまかないを私の昼食に回してまで働いて通わせてくれた調理師学校ですから、無駄にしてはいけないと心に誓いました。このまま地元にいてはいけないと考え、住み込みで働けるところを探し、板前修業に入ったんです。そこでは、男気がありすごくいい先輩3人に恵まれ、過酷ではありましたが充実した日々を送り、ひと通りの技術を学びました。その後移った店の親方の仕事に対する姿勢に疑問を抱き、納得いかなくて飛び出してしまったんです。それから、学校の先生の紹介で入った店ではひたすら働き、すべてを吸収していきました。そこで料理長になったのですが、若くして周りから認められるにはどうしたらいいのかと悩み、唯一尊敬する先輩のもとで学びなおすことにしました。

Q.4:

そして、マーチャンダイザー、コンクールと経験なさったのですね。

下村:

photoそうですね。たくさんの店で料理長を経験しながら、若くして料理長になったのもあり、どうしたら周りに認められるだろうと、常に考えていました。マーチャンダイザーも経験し、少しずつ前進しながらも、それでもまだ納得がいかない。そんな時、レストランメニューのコンテストにも挑戦して、グランプリも受賞しました。自分の仕事に対する姿勢を確信し、自信にもつながりましたね。でも、時代が移り経済も停滞すると、売上も伸びづらくなります。売上が上がらないと、自分の意見も通りにくくなる。給料が下がった時が辞め時だと考え、店を辞めることにしました。引き抜きもありましたが、義理もあるのでノコノコついていけないと思い、独立することにしたんです。そして今に至っています。


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