著名人の方からのコメント

炎とは、セルフコントロールです。 安心、安全、機能的な最新ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。今回は、キッチンランドで講師を務めてくださっている、「中国上海料理 四五六菜館」オーナーシェフ、孫関義さんにインタビューしました。テレビでもおなじみの孫さん。家庭で中国料理をおいしく作るコツなど、楽しいお話を伺いました。



孫関義さん 孫関義さん 「横濱中華街 中国上海料理 四五六菜館」オーナーシェフ

1956年6月1日、香港に生まれる。蒋介石のお抱え料理人で"上海料理の祖"として名をはせる祖父の、一番弟子でもあった父に育てられる。5歳のとき、香港から日本に渡る。その後、父が横浜・中華街で『四五六菜館』を開店。氏はアメリカンスクールを卒業後、18歳で父の元修業を始め1986年に30歳で二代目オーナーシェフとなる。さらに二店舗目の新館を中華街の関帝廟前に、次いで三店舗目の別館を横浜中華街の表玄関、善隣門向かいにオープンさせ中華街で不動の人気を誇る。2004年には自由民主党総裁・総裁賞を受賞し高い評価を受ける。



伝統は守りつつ、見せ方や作り方を変えています。

Q.1:

子供の頃から料理人になろうと?

孫:

photo祖父、父と中国料理の料理人だったのですが、私はずっとアメリカンスクールに通っていて、料理人にはまったく興味がなかったんです。高校を卒業した後、日本の大学に行くかアメリカに行くかで迷っていたのですが、父は僕に直接言えなかったんでしょうね。母を通じて大学もアメリカ行きもやめるように説得されました。母に泣きながら止められると、さすがに行けなかったですよね。アメリカではビジネスマネジメントを学びたいと思っていたし、フードビジネスとはまるっきり縁がありませんでした。

Q.2:

そこから初めて、中国料理の世界へ入られたのでしょうか?

孫:

子供の頃から調理場で遊んでいたので、料理は遊びながら学んでいました。よく学校の宿題が厨房の油で油っぽくなっていましたね(笑)。学校の寮に入り、土日に厨房でアルバイトをしてお小遣いをためていましたよ。その後は大学もアメリカ行きも諦めたのですぐにお店に入り、有名ホテルへ修行に行かされてたんです。その頃になって初めて本格的にお玉や鍋、包丁を持ったのですが、その重さにえー!って驚きましたよ。何しろ、ボールペンより重いものを持ったことがなかったのでね(笑)。

Q.3:

若くして料理長になられたそうですね。

孫:

photo最初は有名ホテルの料理長について指導を受け、実家の本店と行ったり来たりしていました。最初はまねごとから入り、皿や鍋洗い、包丁をもったりフカヒレを戻したりと徐々に勉強しました。乾燥フカヒレを戻すのって、大変なんですよ。水を使うので冬は寒くて。でも、いい意味で手を抜きながら、本当にやるべきことはもっとあるんじゃないかといろいろ模索していましたね。それが認められたんだと思います。

Q.4:

伝統料理と創作料理の融合を目指していらっしゃるとか。

孫:

父の料理を見てきたので、今の日本の中国料理と本場の料理が違うのはよくわかります。海老チリなんて日本のものですし、ホイコーローも本場ではキャベツは入れませんしね。崩していいものと崩してはダメなものの差がなくなってきている。日本人の口に合う料理というのもだんだんわかってきました。上海料理は、中国料理の中でもいいとこどりなんです。トンポーローも、五香粉という香辛料を入れてずっと煮込むので形も悪いですが、手法は変えずにふかしてから形よく煮て、さっぱり脂を除いて旨味を残しています。日本の素材は臭みも少ないから、香辛料を使わなくてもいいよね。ポピュラリズムは流行らない。ステイタスは守って、見せ方や作り方を変える。本来、マーボー豆腐は四川の辛い料理だけど、遊び心で生み出したのが、看板メニューの食べやすい「孫マーボー」なんですよ。ただ、スープは大切にしてほしいよね。昔のやり方はコストの問題が出てくるけど、これがしっかりしていないと、いい料理ができないから。


次のページへ