著名人の方からのコメント

炎とは、手の先にある道具です。 安全性・機能性で話題の最新ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。プロの味が自宅で簡単に再現できると、毎回ご好評をいただいております。今回は、キッチンランドの料理教室で講師を務めてくださっている、料理研究家 きじまりゅうたさんにインタビューしました。若手料理人の中でもセンスの光るきじまさん。ピピッとコンロの使いやすさや自宅で料理を美味しく作るコツ、これからの抱負など伺いました。



きじまりゅうたさん きじまりゅうたさん 料理研究家

1981年東京都生まれ。祖母、母とも料理研究家の家庭に育つ。立教大学卒業後、アパレルメーカー勤務を経て、母であり料理研究家の杵島直美の元でアシスタントを務め独立、料理研究家に。現在雑誌やテレビで活躍中。趣味はサーフィン、ブラックミュージックを中心とした音楽鑑賞。



自分なりの、男らしくシンプルな弁当を作ってみようと思いました。

Q.1:

子供の頃から料理研究家になろうと思われていたのでしょうか。

きじま:

photoうちは祖母も母も料理研究家で、僕で三代目なんです。なので、自宅はずっと料理の撮影やメディア関係者が出入りしている状態でした。小さい頃からおばあちゃん子で、目に入れても痛くないほどかわいがってもらったし、僕もそんな祖母に一日中くっついてまわり、いつも台所にいました。小学校に入って低学年くらいまで、撮影も一緒に見ていました。その頃は、「仕事」という言葉は「料理する」という意味だと思っていたくらいなんですよ(笑)

Q.2:

では、そのころから仕事にするつもりでいらっしゃったのですね?

きじま:

いえ、中学年になった頃から友人と遊ぶのが楽しくなったんです。でも、父はふつうに外で働いていましたし、ちょうどバブルの頃で母も祖母のアシスタントをして忙しくしていました。なので、働かざる者食うべからずで、学校から帰っても皿洗いや買い出しが当たり前でしたね。中学生になると、それがお小遣いをもらうバイトになりました。撮影の片付けや皿洗いをしないと遊ぶお金がない。それ欲しさですね(笑)。高校生になってやっぱり料理が好きで、改めて料理家になりたいと思ったんです。が、祖母に猛反対されましてね。なぜなら、男性で家庭料理の専門家がいない時代でしたし、フリーランスのたいへんさも知っていましたから。どうせ大学に行くなら、サラリーマンになれ、と。

Q.3:

でも、あきらめなかったのですね。

きじま:

大学では高校から続けているアメフト部に入ろうかと思いましたが、楽しい学生ライフを送るにはハードすぎて(笑)。飲食店などでバイトしていましたが、そこの先輩がアパレルの会社を興すことになったんです。自分も洋服が好きだったのもあって、その会社で自分のブランドを立ち上げることになりました。学生でありながらほぼ社員の状態でしたね。でも、卒業しても就職活動をしないまま続けているうちに、アパレル業界の景気が下降していきました。ちょうどその頃大好きな祖母を亡くし、改めて自分の人生を考えるようになったんです。そう、やっぱり料理をやりたいと思いました。

Q.4:

その後、すぐ料理人に?

きじま:

祖母、母は料理の免許を持っていなかったし、店に修行に入るには出遅れた。母のアシスタントのみでやっていくにはどうか、と考え、24歳で調理師学校に入学しました。家でずっと見てきたので、現場でのノウハウを身に付けた状態で学校で学ぶのは、とても楽しかったですね。1年半で学校を卒業すると同時に会社も辞め、アシスタントをメインに仕事し、28歳で独り立ちしました。アシスタントしながらブログも書いていたんですが、その頃「弁当男子」が流行ったんです。当時は弁当って女々しい気がして…(笑)。でも弁当を作るのはいいことだし、自分なりの男らしい弁当を作ろうと試みました。時を同じくして、母の知り合いの出版社の人が弁当男子の本を出してみないか、と。自分が作りたいシンプルな弁当本をパッと出したんです。結果、弁当関係の第一人者になれた、ということでしょうか(笑)。


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