著名人の方からのコメント

炎とは、素材の旨味を引き出す調味料です。 安全性・機能性が格段に進化した最新のガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。今回は、キッチンランドの料理教室で講師を務めてくださっている、聘珍樓 総料理長 西崎英行さんにインタビューしました。西崎さんの料理教室は、募集を始めると毎回応募が殺到するほど大人気。朗らかで器の大きさを感じさせる笑顔が印象的な西崎さん。その西崎さんに、家庭で美味しい中国料理を作るコツなど、興味深いお話を伺いました。



西崎英行さん 西崎英行さん 「聘珍樓」総料理長

1989年聘珍樓入社、日比谷店勤務。その後、2年間某ホテルに勤め、再度日比谷店に戻る。2000年溜池山王店聘珍樓オープンとともに溜池山王店副料理長、2年後に溜池山王店料理長に就任。2009年謝華顕総料理長の後継者として聘珍樓日本国内全11店舗の副総料理長に就任し、2010年聘珍樓総料理長に就任、現在に至る。



とにかく何でもいやな顔をせず、進んでやりました。

Q.1:

料理人になられたきっかけは、高校時代のアルバイトだったとか。

西崎:

photoそうなんです、ラーメン屋のアルバイトでした。それまでは料理には特に興味はなかったんですが、高校に入学したばかりの私にとって、3年の先輩方とワイワイ仕事ができるのが楽しくて。当時はラーメン一杯の値段が430円で、そのラーメン一杯の値段が私の時給でした。それでもとにかく仕事が面白かったんです。料理人になるきっかけになったのは、今思えばその店の大将の言葉だったんでしょうね。「料理人を目指すのなら、自前の包丁を買え」と包丁を買わされたんです。大将についてきてもらってかっぱ橋に行き、当時の時給からは想像できないような高額で包丁を買いました。それ以降、店に行くと自分と大将の包丁を研ぐのが日課になりました。文句を言われ、どなられ、嫌味を言われながら(笑)、いろんなことを学びましたね。

Q.2:

なぜそこから聘珍樓に入られたのでしょうか。

西崎:

そのお店では、毎年勤務先を紹介してくれるのが恒例になっていたんです。知人の息子さんの関係で聘珍樓に入社が決まりました。自分は千葉から出たことがなかったので、千代田線に乗って霞が関に降り立った時は、バブル真っ盛りなのもあり、なんだここは!と思いましたね。“田舎もん丸出しだから、キョロキョロしないでくれ”と言われたのを覚えています(笑)。最初は横浜本店に配属と聞いていたのですが、もしそうだったら辞めていたかもしれませんね(笑)。横浜中華街は華やかで、本場中国の方もたくさんいらっしゃいましたし、調理場だけでも50人という別世界でしたから。おたまやまな板も、今まで使っていたものに比べてすごく大きくて、どうしよう…と。「ヤバい、こんなところに入るのか!?」とかなり不安を抱きつつも腹をくくっていましたが、ふたを開けたら日比谷店配属だったんです(笑)。

Q.3:

苦労なさったことがありましたら、教えてください。

西崎:

苦労したことですか。いつもしてますよ(笑)。聘珍樓の総料理長になった時、みんな年上か同期で自分が一番下でした。みんなに挫折したことないだろうといわれましたが、実は入社したあと、会社を辞めて2年間ホテルで働いていたことがあるんです。出戻りで戻ってきた時が一番つらかったですね。給料など同期がみんな上になっていて、いろんなことで取り残され、悔しい思いをしました。負けたくないという思いが糧になりましたね。2年間を取り戻し挽回しようと、とにかく何でもいやな顔をせず進んでやりました。そのためか、前総料理長や香港人の料理長にも声をかけてもらい、かわいがってもらいました。


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