著名人の方からのコメント

炎とは、食材を生かす“力”の原点です。 安心・安全・便利な最新ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。今回は東京ガスの料理教室で講師を務めてくださっている横濱元町 霧笛楼総料理長 今平茂さんにインタビューしました。横浜市内産の農産物への熱い思いを語ってくださった今平さん。その今平さんに、家庭で美味しい料理を作るコツなど、楽しいお話を伺いました。



今平茂さん 今平茂さん 「聘珍樓」総料理長

1976年日本橋東洋にて、矢島政次氏に師事、西洋料理を学ぶ。その後フランス各地を巡り、様々な文化や食材に出会うことで更なる研究を重ねる。
「霧笛楼」開店当初より副料理長としてレストラン運営に携わり、1989年より総料理長に就任。ここ数年は地域活動にも特に力を入れ、地産地消を推進すべく地元の美味しい食材を使って情報発信していく活動などにも積極的に参加している。



褒められる楽しさを知り、美味しかったといわれて純粋に嬉しかった。

Q.1:

料理人になられたきっかけを教えてください。

今平:

photo僕の実家は商店街で靴屋さんをやっていたんです。小さな店でしたし、商店街って経営が大変だったんですよ。当時僕は青春ドラマの影響で、せめて高校は行きたいって思っていましてね、アルバイトを探していました。その時たまたま見かけたフルーツパーラーのアルバイト募集を見つけて、飛び込みました。が、もちろん中学生を雇ってくれるはずもありません。お店の人もあきらめさせるために、そのころ流行りの長髪をしていた僕にむかって「坊主にしたら雇ってあげるよ」って言ったんですよ。僕は早速家に帰って、母にバリカンで刈ってもらって、その夜にはお店に行きました。店長さんも困られたでしょうね(笑)。考えてみるとおっしゃって、「その代わり洗い場だよ」って雇ってくれることになったんです。なんと、そのまま高校3年まで勤めましたよ(笑)。

Q.2:

フルーツパーラーで料理を覚えられたのでしょうか。

今平:

そうですね。アルバイトも最初は慣れないことばかりで大変でした。慣れてくると、人手が足りない時などいろいろやらせてくれたんです。パフェやアラモードなどの盛り付け、ハンバーグやナポリタン、ポークチャップなどを作らせてくれるようになりました。気が付くとお店の中で一番の古株になってて・・・チーフがいろいろ任せてくれて、リンゴのウサギを作った時など、すごく褒めてくれたんですよ。それが嬉しくて。自分なりにいろんなことに挑戦するようになりました。そうやってだんだん料理が好きになっていき、高校2年のころ、この道を目指してみようかと思ったんです。

Q.3:

そこから西洋料理の世界に入られたのですね。

今平:

はい。いわゆる喫茶店だったので、ベシャメルソースなど西洋料理に通じるものがあり、その道の料理人になろうと思いました。褒めてくれたことがそのきっかけですね、今でも忘れられません。自信がついたし、楽しくなってきました。そして社会人になり、厳しい親方について修行しました。社会人になってみて、アルバイトとのギャップに驚きましたね。親方は戦前の方でしたから、「昔はオーブンも石炭だった。君たちは楽をしている」といつも言われていました。正直、辞めたくてしょうがなかった。へとへとになり、夜帰ったらどうでもいいやって思っていましたし、実際にやめたいと言ったこともありました。でもいつも思っていたんです。「朝起きたら、必ず行こう!途中で帰るのはやめよう」って。その繰り返しです。それから3年くらい経つと、魚をおろすなどさらにいろんなことができるようになっていて、楽しくなっていました。美味しかったといわれて純粋に嬉しかった。何時も厳しく、でも、褒められる楽しさも教えてもらいました。今となっては良い思い出です。


次のページへ