著名人の方からのコメント

炎は、料理人において、最大の相棒です。 安心、便利で格段に進化した最新式ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。今回は、キッチンランドの料理教室で講師を務めてくださっている、「レストランFEU」料理長 松本浩之さんにインタビューしました。教室では、シェフ自身が親子2代で料理人という観点から、息子さんにも伝えたい料理を教えてくださっています。ほかにも、ピピッとコンロにほれ込んだ思いや家庭で料理を美味しく作るコツなど、興味深いお話を伺いました。



松本浩之さん 松本浩之さん 「レストランFEU」料理長

1969年生まれ。大阪辻調理師学校卒業後、「銀座レザンジュ」を皮切りに「小田原ステラマリス」を経て26歳で渡仏。星付きレストランでの料理はもとより食文化、経営学などを学ぶ。2001年帰国後、「銀座レザンジュ」総料理長、「ベージュ東京」副料理長、「表参道バンブー」料理長を歴任し、2006年より「レストランFEU」料理長を務める。



父には負けたくない、父より一日でも長く頑張ろうと思ったんです。

Q.1:

料理人になろうと思われたきっかけを教えてください。

松本:

高校のころずっと野球をやっていたんですが、高校三年生の夏、大会で負けたときのことでした。進路相談がありまして、気づいたら仲間はみんなもう進路を決めてたんです。え!みんなもう決まってんの?ってびっくりですよね(笑)。当時はすっかり燃え尽き症候群で、もう一度一から考え直してみたんです。メニュー開発の仕事をしていた父が喜ぶのではと思い、料理人になろうと考えました。すると家族会議になり、本当につらくて大変な仕事だから考え直すようにと、三度も言われて(笑)。

Q.2:

それでもやっぱり料理人になろうと思われたのですね。

松本:

photo僕が子供のころは、仕事柄、料理が美味しくないとちゃぶ台をひっくり返すような父だったんですね。楽しいはずの食卓が、シーンとなってしまって… こんな仕事は絶対にしたくない!と思っていました。それでも、料理人になりたいと告げたときには考え直すよう言っていた父が、いろんな調理師専門学校のパンフレットをかき集めて持ってきて、母から手渡されたんです。僕は怖い父から離れたい思いもあって、その中でもできるだけ遠くの大阪の学校を選びましたね(笑)。最初はきつかったですよ。実は若い頃はお湯一つ沸かしたことがなかったので(笑)。少しずつやり続け、これしかないと思い始めたのは、30歳を超えたくらいだったでしょうか。父は一年間フランスに単身赴任をしていた時期があったのですが、帰ってきた時、さりげなく香水の香りがしたり、しゃれたブレスレットをしていたり、とにかくかっこよかったんです。そして、今まで共通点のなかった父との会話で、フランスのシェフの話が挙がって・・・父は世界的に有名なシェフも知っていたし、店も見に行ってたんですよ。初めて尊敬の念を抱きました。

Q.3:

フランスでの修業時代はいかがでしたか。

松本:

フランスに渡ったのは26歳のころでしたが、最初は言葉もわからずつらい日々でした。オーダーさえ取れないし、何を頼まれてもわからない。でも、父が一年間、つまり365日フランスに滞在していたので、それには負けたくない、一日でも長く残ろうって我慢したんです(笑)。レシピが読めればできるパティシエから頑張り、ストーブの前に立つ(ソースを作れるようになる)までは辞めない!と決心しました。
言葉にも慣れ、少しずつ面白くなってきたら、今度はせっかく来たんだから星付きのレストランで働きたいと思うようになったんですね。でもパリ市内だと、働かせてもらえるなら給料はいらないというのが当たり前。が、地方は住み込みでお小遣いまでくれるところがあったんです。ただ、なかなか雇ってもらえるところが見つからない。そんな時、父の息子だったらということで雇ってくれるところがありました。二つ星のレストランでしたがドイツに近い地域だったので、ドイツ放送で父と2代、紹介してくれたりもしたんですよ。

Q.4:

その後はどんどん新しい道へ進まれたのですね。

松本:

そうですね、その後は三ツ星で働きたいと思いましたが、こういうところはたいてい紹介制なんです。日本人は勤勉ですし、その友人や紹介者の方がレベルもわかりますしね。そんな時に友人の紹介で"三ツ星レストランで働かないか"という話に、明日からでも行けます!と飛びつきました。言葉ができるかできないかも重要なんですよ。到着したら、なんとその夜からすぐにキッチンに入れられましたね(笑)。
日本に帰ってきてからは、銀座のシェフとして、いきなり部下ができたんです。このころが一番勉強したかな。4年間毎日自分で築地に通って食材を見続けました。料理の面白さに気付いたのもこの頃ですね。ヨーロッパにいたころは野良犬のように風来坊でしたが、結婚もし、これしかないと思ってからは割り切って、やる気が出てきましたね。


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