著名人の方からのコメント

炎とは、自分の中の中心にあって、生涯のパートナーです。 安心、便利で格段に進化した最新式ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガスの料理教室。今回は、キッチンランドの料理教室で講師を務めてくださっている、「銀座レカン」総料理長 高良康之さんにインタビューしました。気さくな笑顔が印象的な中に、筋の通った厳しさを感じる高良シェフ。ピピッとコンロを使って自宅で料理をおいしく作るコツなど教えていただきました。



高良康之さん 高良康之さん 「銀座レカン」総料理長

高校卒業後、料理の世界に入る。1989年に渡仏し各地で2年間修行。帰国後、赤坂「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」にて副料理長、日比谷「南部亭」、上野「ブラッスリーレカン」で料理長を勤める。現在、銀座「レカン」の総料理長として、フランス料理の伝統をふまえつつ「今」この瞬間を表現したメニューを提供し続けている。被災地を応援するチャリティーカレーも、「シェ・イノ」「アピシウス」と定期的に共催。



どんどんオーダーが増えて、それが面白くて。この仕事も悪くないって思いました。

Q.1:

料理の道に進もうと思われたきっかけを教えてください。

高良:

photo中学の頃、スーパーカーブームもあってモータースポーツの世界に憧れ、自分でF1カーを作りたいと思っていました。進学を考える時期になりホンダに入りたいと先生に相談したところ、「学年で1番か2番じゃないと入れないよ、できるの?」と言われました。それでもやってみたい!と目指すことになったのです。
その後工業高校に入ってからは、バイクの免許を取りたい、乗りたい、欲しいと思うようになりました。そのバイクが手に入ると、今度は改造したくなるんですね。パーツがないからアルバイトで購入資金を稼ぐようになったんです。当時はちょうど喫茶店やファミリーレストランができ始めのころだったので自然に喫茶店で働くようになり、そのバイトが忙しくなってきました。

Q.2:

そこから、料理人に興味を持たれたのですね。

高良:

喫茶店でのバイトを始めると、この仕事っていいな、と思うようになりました。例えば缶詰のサクランボがありますよね。あれって、食べずに残す人が多いんですよ。ちょうどパフェを作っていいぞと言われたのもあり、いつも残りものになってしまうチェリーを使ってパフェを作ろうと思ったんです。アイスやコーンフレークの上に、これでもかとチェリーをたっぷり盛りつけました。「飾りじゃないのよ、チェリーは」という名前のパフェの出来上がりです(笑)。その当時、中森明菜さんの曲が流行ってましてね。近くの大学のテニスサークルの人たちがよく来てくれてたんですが、なんだ?コレ!ってことで大爆笑になって。その声が厨房まで響いてくるんですよ。どんどんパフェのオーダーが増えて、それが面白くて(笑)。この仕事も悪くないって思いました。このお店、忙しい割にはすべて手作りなんです。黒蜜とか黒糖から作るし、コーヒーも時間をかけて水出しにするし。その面白さが性に合っていたのでしょうね。

Q.3:

そこからなぜ、フレンチの道へ?

高良:

当時、「天皇の料理番」っていうドラマをやっていましてね。あ、今のではなく堺正章さんが主演の方です。当時はホテルのレストランが舞台になっていましたし、ドラマの中の晩さん会もフランス料理が基本でそこに各国の特色が出ているのを見て、世界に通用するものがいいと思ったんです。
もちろん、当時通っていた工業高校から料理人になる人はいませんでしたから、先生にホテルに就職したいと相談しました。そしたら担任が、「帝国ホテルの就職、取ってきたぞ!」って。やるな〜!と思っていたら、なんと料理人の職じゃなく、ボイラー技士だったんです(笑)。そうこうしているうちにホテルの求人もきて、調理経験のない僕はレストランの洗い場からスタートすることになりました。

Q.4:

そこで苦労されたことはありますか。

高良:

調理師系の学校を出た同期は、すぐに調理場へ配属されました。僕がいた洗い場からすると、彼らが被っているコック帽がうらやましくて。悔しい、どうしたら早くあそこに行けるだろうと考えに考え、まずは自分の仕事を早く全部終わらせて手伝いに行こうと思いました。いずれスタッフは辞めていくものなので、空きは出るものなんです。早くここから脱却しようと思いましたね。
その後、日本のフレンチ界でも有名なホテルオークラ出身の浅野シェフと出会い、「コーヒーショップ アイリス」で基礎を学びました。そこでフランス行きの夢を膨らませ、渡仏するんですね。料理人がつらくて辞めたいと思ったことは、一度もありませんでした。
日本に帰ってきてからは、26歳の時に「マエストロ」の副料理長に推されました。やってみてわかったのですが、この仕事は自分でやりたいと手を挙げるものではないんです。人に推してもらって、責任を与えられて、やりながら見せながら管理していくものなんだと、考えが変わってきました。ひとつのターニングポイントになりましたね。


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