著名人の方からのコメント

炎とは、料理人の情熱と同じものです。 機能的で安全、便利な最新式ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる、東京ガ
スの料理教室。今回は、キッチンランドの料理教室で講師を務めてくださっている、「ラ・ロシェル」取締役 総料理長工藤敏之さんにインタビューしました。料理教室でも、その明るさと情熱あふれるトークが人気の工藤シェフ。ピピッとコンロを使って自宅で料理をおいしく作るコツなど教えていただきました。



工藤敏之さん 工藤敏之さん 「ラ・ロシェル」取締役 総料理長

1957年北海道生まれ。函館の調理師学校を卒業後、「東京エアポートレストラン」を経た後、1985年に「ラ・ロシェル」に入社。料理長などを経て、現在、「ラ・ロシェル南青山」「ラ・ロシェル山王」「ラ・ロシェル福岡」「ビストロ イル・ド・レ」の4店舗の総料理長として活躍。また、オーナーである坂井シェフの海外イベント同行、婚礼式場などの調理指導、テレビCM等でのレシピ監修などを手掛け、多忙な毎日を過ごしている。



どんな師匠につくかで、自分の運命は変わると実感しています。

Q.1:

料理人になろうと思ったきっかけを聞かせてください。

工藤:

photo僕の実家は、北海道の4000人くらいの小さな町にあります。田舎ですが土地だけはたくさんあったので、そこで祖母が畑仕事をしていました。そのおばあちゃんと一緒に、お手伝いするのが、僕、大好きだったんですよ。男4人兄弟なんですが、その中でも僕だけがご飯を盛ったり漬物を切ったり手伝っていました。そんな中、母が急に「大きくなったらコックさんになったらいいのに」って言ったんです。それ以来、料理人になることをずっと意識していましたね。白いコック帽に憧れました。その反面、中学生の頃はミュージシャンに憧れて、東京に出て一旗揚げてやろうって思ったりもしましたが(笑)。

Q.2:

ミュージシャンより料理人を選ばれたのですね。

工藤:

そうですね。東京に出たいという思いはあったので、調理師学校を卒業した後、東京のレストランに就職しました。牛しかいない小さな田舎から東京に出てきて、一挙に都会を体で感じたんです。夢というか、いっぺんに現実のものになった気がしましたね。お店はレストランといってもフレンチとかではなく、屋上にあるファミレスのような店だったんですが、そこで料理を作る楽しみを覚えました。フライとか、単純な作業の中にも考えることや驚きがたくさんあった。ピラフを作れるだけでも嬉しいんですよ。そこで4年くらい働いたとき、先輩がプレゼントをくれたんです。それがフランス料理の本で、すごい!やってみたい!!!って思ったのがフレンチの道に進んだきっかけですね。先輩に恵まれていたんだと、つくづく思います。その後引き抜かれて別のレストランに移りましたが、どんどん段階が上がって、もっとやりたいっていう欲が出てきました。

Q.3:

そして、最大の師匠に出会われたのですね。

工藤:

photoはい。どんな師匠につくかで、今の自分の運命は変わっていたと思います。
師匠である坂井ムッシュに出会えたので、今の自分があるのだと心から感謝しています。でも、実はね、出会った時は坂井ムッシュのこと、ちょっと苦手だったんですよ(笑)。
当時、勤務先の友人が坂井ムッシュと友人で、五周年記念ディナーに招待してくれたんです。そこで初めてお会いしたんですが、ご挨拶した時いきなり、電話番号教えてって言われて。それから毎日夜中の12時に電話がかかってきたんですよ(笑)。僕はちょうど次の勤務先が決まっていたんですが、「そっちは辞めて俺の店に来い!」って。たぶん友人が僕のこと、こんなやつがいるって既に坂井ムッシュに話してたんでしょうね。もう、毎日毎日かかってくるもんだから、困っちゃって(笑)。

Q.4:

苦手だったとはびっくりですね。それがなぜ、坂井ムッシュのところに?

工藤:

2週間目くらいに、これで最後にするから、ご馳走するから原宿まで来いって言われて。僕、行っちゃったんです(笑)。その時、「そんなにその店に行きたいなら行って来い、でも本気でフレンチやりたかったら、俺のところに戻ってこい」って言われました。その後、僕は既に決まっていたお店に就職したんですが、そこは小ぢんまりしたお店で、やはり物足りなさを感じてしまって。結局、退職して坂井シェフを訪ねたんです。そしたら、「ほら、俺の言った通りだろ」って笑うんですよ(笑)。
そこからは、本当にいろんなことを教えてもらいました。当時の料理業界の子弟関係からしたら、考えられないくらいスタッフを大事にしてくれる方で。僕もそうなりたいと思いましたね。それから現在に至るまで、みんながいたからつらい時も楽しく頑張ってこられました。


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