著名人の方からのコメント

炎とは、僕の料理の原点です。 安心・安全・便利な最新式ガス調理機器「ピピッとコンロ」を使って行われる東京ガスの料理教室。今回は、キッチンランドで講師を務めてくださっている、日本を代表するイタリアンの名店 銀座「アロマフレスカ」オーナーシェフ 原田慎次さんにインタビューしました。「ほっこり鍋料理でおもてなし」をテーマに、ポトフなど自慢の鍋料理をご紹介くださった原田シェフ。お店や料理への意気込みなど、興味深いお話を伺いました。



原田慎次さん 原田慎次さん 銀座『アロマフレスカ』オーナーシェフ

1969年7月28日生まれ。栃木県出身。15歳の頃から料理に興味を持ち、高校時代に仕込みから携わったアルバイト先で料理の面白さを知る。服部栄養専門学校在学中よりアルバイトをはじめた六本木の「ヂーノ」にそのまま入店。佐竹弘シェフのもとで5年間修業を積み、「ヂーノ2号店」にて4年間シェフをつとめ、1998年に独立、「アロマフレスカ」をオープン。その後、数々の店舗を手がける料理人兼経営者として活躍中。



苦労したことで、ここまでは耐えられるという自信になっているんです。

Q.1:

料理人になろうと思ったきっかけを教えてください。

原田:

photo高校生の頃のアルバイトでしょうか。そのアルバイト先がラーメン屋だったんですが、なんでもやらされたんです。ベースの仕込みは時間的にやることはありませんでしたが、ラーメンに限らず野菜炒めとか、何かを作ることは一通り全部やりました。なので、16歳くらいで大きな中華鍋とかも振っていましたね(笑)。包丁も使えたし。ラーメン屋ですからカウンターなんでね。お客さまの喜んだ顔とか、おいしかったよって言葉がダイレクトに聞けて嬉しくて。それがきっかけですね。

Q.2:

では、それまでは料理人になろうとは思っていなかったのでしょうか。

原田:

考えてなかったですね。でも、嫌いじゃなかった。15歳の頃には既に、カルボナーラを作ったりしていました。その点、スタートは早かったかな。もちろん料理の専門学校にも行きましたよ。学校ではフレンチの講習も受けていましたが、飾り切りとか馴染めなくて(笑)。本で見て、そのストレートさに惹かれてイタリアンを目指しました。そのころアルバイトで入ったのが「ヂーノ」さんだったんです。入ってみるとシェフとマネージャー二人だけしかいなくて、キッチンも手伝い、料理を運んだりもしていました。ヂーノは、ほぼマンツーマンで教えてもらえる環境だったんです。タイミングが良かったんでしょうね。
言われてから仕事するんじゃ遅い。だから僕は自分で勝手に仕事をしちゃうんです。例えば魚を勝手にさばいたり。ものすごく怒られましたね(笑)。でも、うまくできていたら怒られないでしょう?なので、一生懸命努力して仕事を覚え、少しずつ任されていったんです。朝イチで出社して、朝のうちにすでに仕込みを終えていましたね。そのおかげで、20、21歳の頃には加熱の仕事はすべて任されていました。その年齢でできる人がいなかったので、天狗になっていましたよ(笑)。

Q.3:

苦労なさったことはありますか。

原田:

24歳で初めてシェフになった時、オープニングの初日、24席のヂーノでも1人でこなしていたので、予約もオープン2時間前で15名だったし大丈夫だろうと余裕で構えていました。それが、ふたを開けたら60名だったんですよ!どうにも回らなくなってしまって、料理を提供できずに2組くらい帰ってしまわれて・・・初めて涙が出ましたね。
そこから半年くらいは、ほぼ始発、終電で仕事しっぱなしでした。幸か不幸かお店は常に満席だったので、仕事の合間に立ったまま食事をすることがほとんどでしたね。そのおかげでさらに仕事が早くなりました。全盛期はパスタを茹でる合間に鶏肉をさばいていましたから、さばくのに1分もかからなかったですよ。鶏肉加工場並みに早かった(笑)。

Q.4:

その後、現在のお店を立ち上げられたのですね。

原田:

はい、4年くらい務めた頃でしょうか。仕事は早いが、これでいいのかと思い始めたんです。料理としてはどうなんだろうと・・・やっぱり美味しくて喜んでもらえるものを、きちんと丁寧に作りたい。
精神的にも体力的にもここでかなり鍛えられていましたしね。倒れる一歩手前までいったんじゃないかな(笑)。でもそれが今、すごく支えになっています。ここまでは耐えられるっていう自信になってるんですよ。若いうちに苦労しろって言いますが、本当にそうですね。苦労しておいてよかった。
そんないろんな思いもあって、アロマフレスカを立ち上げることにしたんです。


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